2019-05-01

平成→令和

平成が終わって令和になりました。本日から上皇になられる第125代天皇は「生前退位」という選択を自ら決断し実行され、未来につなげたのだと思います。

世の中を観察していくといろいろな変化を感じます。私は1988年に大学を卒業し、社会人になったその歳に昭和から平成に元号が変わりました。仕事人生 の30年間は平成とともにあったのです。大きな天災や想像外の事件が次々と起きる中、私個人の仕事や生活も激動した30年であったと思います。

なかでも大きく変わったと思うのが「価値観」です。物質的、経済的豊かさよりも「大切な人と過ごす時間」や「かけがえのない経験」を求めるようになっています。

それは誰かが与えてくれるものではなくて、自ら試行錯誤していくことでしか得られないもの。そこに自分で考えたビジョンや世界観をもつことで、人から人へつながっていき、やがて持続可能になっていく。

20年ほどお世話になった大好きな車と、この4月にお別れすることにしました。友人の紹介で大事に乗ってくれる人のもとへ旅立っていきました。つらい時期も楽しい時期も一緒に過ごした車であり、思い出は尽きません。今後たぶん車を所有することはないと思います。この車以外に考えられない。これもひとつの私の選択です。

2018-02-02

選択の時代〜世界観〜

試行錯誤を繰り返したからこそ見えてくるものがあります。ここで一旦落ち着いて全体を俯瞰してみます。どういう状態になることを望んでいるのか、そういう状態になるにはどんなステップが考えられるのか。

やるべきことを考えるときに大切なのは、「やらないことを決める」ことです。これをやっても望んだ状態にはつながらないと思ったことは、やらないことです。いくつかやらないことリストをつくることで、やるべきことが鮮明になってきます。

やるべきことが見えたら、やり方=方法を考えます。いくつか方法があるはずなので、よいと思う方法で実行してみます。うまくいかなければ、方法を変えて実行します。「やらないこと」につながる方法を実行しないよう気をつけてください。

これをやったらうまくいく、というものはありません。誰かが教えてくれるものでもないしどこかに答えもありません。過去にうまくいったからと言ってうまくいくとは限らないのです。不安でしょう。不安です。安心させてくれるのは「結果」のみです。何かをやった成功または失敗という結果が次に進むための安心です。

選択の時代とは、自分の(あるいはチームの)望む状態、期待、想像、つまり世界観を胸に(腹に)持ちながらそこに向かって自ら動いていく、ことが求められている時代なんだと思います。

2018-01-20

選択の時代〜試行錯誤〜

観察で得た情報をもとに、自分なりに「こういうことができるかな」「こういうことをやってみたいな」と思うことを計画し準備します。実行可能なことはなるべく多く試してみることです。

ほかの人がやっていることをとことん真似してみる、いままでやってみたことがないことを部分的に取り入れてみる、部分的に止めてみる、2つのことを同時にやってみる、などなどあまり時間をかけずに数多く経験して、自分がどう感じるかを試してみるのです。

そうして試しているうちに、結果としてうまく行く場合とうまく行かない場合があって、うまく行く場合は、何がその原動力となっているのかがわかってくるようになります。そして、その原動力がひとつのことだけでなく、複数のことが絶妙なバランスで成り立っていることに気づきます。

たとえば...バンドで練習しているとき、ドラムが全体のリズムを引っ張り、ギターが弾くコードワークで展開し、ベースがアクセントを加え、その場全体を包み込む、相乗効果のような、一人では味わうことの出来ないグルーヴを感じることがある...。
 グルーヴを原動力とするならば、それはバンドメンバーの絶妙なタイム感と音量、メロディが絶妙なバランスによって成り立っていることに気づくわけです。

試行錯誤を繰り返すうちに、自分ならこうしたい、こうありたいという姿が見えてくるでしょう。

2018-01-04

選択の時代〜観察〜

物事に取り組むとき、まずは「観察」することから始まります。

見て、触って、聞いて、嗅いで、味わって、まさに五感で情報を集めるのです。
一度だけでなく何度も繰り返すことで、そこで起きていることが何なのか認識していく。
すると全く同じ環境で同じ事が行われているのに、毎回何かが違うということがわかります。

パン屋の店頭に立っていたとき、売っているものもお客様の数も天気も気温も同様なのに、毎日まったく違うストーリーが繰り広げられて驚きました。ギターを弾くときネックを握るとなぜか毎回違って、調子が出ないときもある。思った以上によく弾けるときもある。そんな感覚を思い出していました。

繰り返さないとわからないことです。プロといわれる人は、その違いを微調整する技を身につけて常に水準またはそれ以上の結果を出すことができる人なんだと思います。

どうやってその技を身につけるか。受動から能動へ、つまり「試行錯誤」という段階を踏む必要があります。

2017-10-31

選択の時代 2

自分の内側から「私はこれをやっていくんだ」と湧き上がるように生きていくことができればよいのですが、なかなかそうもいかない。どちらかといえば「受け身」で、いつの間にかそういうことをやっているとかそんなことになっているということが多いものです。つまり環境から影響を受けながら進んでいく。

もし選択するとすれば、その「環境」を選択することができるかもしれません。例えば住む地域や住居、勤めている会社など。いますぐには無理でも近い将来であれば可能だと思います。そして、そこに身を置いてみて自分の身体がどう反応するか、そのフィードバックを待ってみて感じてみる(受け身)。

私はこの数年、パン屋、ライヴハウスレストラン、映像スタジオ、音楽プロモーションといった複数の環境に身を置いてみています。そこではいろいろと感じるものがあります。「飲食業や外食の仕事は毎日毎日本当に大変だな」とか「どうやったら新しい顧客とパートナーシップを組めるんだろう難しいな」とか。そう感じるようになるまでにはさまざまな「今まで知らなかったこと」に首を突っ込み、どっぷりと浸かるからこその幅広い情報と深い体験の蓄積があります。

やりたくて選んだ環境ではありますが、「本当にやりたいことをやれているか」というとそうでもありません。楽しいと感じることもありますが、苦しいと感じることのほうが多い気もします。

今日、こんな動画を発見しました。私はソニーとは関係ないのですが、複数の環境に身を置きながら選択しつつ「砂漠化が進むサブサハラ・アフリカの国ブルキナファソを、たった1年で食用植物が満ち溢れる緑地に変える。」という既成概念を打ち破るそんなことを成し遂げている超人がいることを知りました。

壊れゆく地球環境を農業から立て直す ソニーコンピュータサイエンス研究所
 
私が個人的にやろうと思っているCagotta(カゴッタ)をやるきっかけとなったのも山梨の知人農家でした。まさにこの“協生農法”に取り組んでいます。農薬不使用、耕さない、畑の情報を収集しまくって、生き物や菌や土を活かしていくそんな取り組みに魅了されました。

この協生農法は、畑のみにあらず、会社の経営や組織にもあてはまるものだと思っています。そしてやがて「既成概念を打ち破る」なにかが生まれ、文化となっていくことができればと妄想しながら、環境に身を置いているのです。

2017-06-06

選択の時代

「数百年後、歴史家が長い視点から今日の時代をとらえた場合、最も重要な出来事はテクノロジーでもインターネットでも電子商取引でもないだろう。人間がおかれた状況の史上例を見ない変動こそ、最大の出来事である。今日、多くの人々が選択する自由を手にしており、その人数は急激に増えつつある。これは歴史上まったくなかったことだ。それは同じく史上初めて、人々が自分自身をマネジメントしなければならないということでもある。しかし社会の側では、この事態に対応する準備が全然できていない」 
Peter F. Drucker. "Managing Knowledge Means Managing Oneself." 
Leader to Leader, 16 (Spring 2000), pp.8-10.
第8の習慣 スティーブン・R・コヴィー著 P.36より引用